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Dialog - somewhere in the World.

きっとどこかにある日常

優しいだけでは救えない

僕らは揃って黒いネクタイと黒いスーツに身を包んでいた。窓の外では冷たい雨が厚い雲から降り出そうとしていた。僕と彼はカウンターに座っている。雨の音はまだ聞こえない。 イカロスの翼を知っているかい、と彼は話し出した。蝋の翼を作った大工ダイダロス…

あなたの言葉は誰の為に

あなたは語ることを職業としてるんでしょう、と彼女は言った。その通りだった。私はただ語ることによって生計を立てている。彼女は私が語れなくなったことを責めるのでもなく、慰めと転職を提案するわけでもなく、ただこう言った。 あなたは語ることを職業と…

砂糖とミルクと優しさの分量

「大丈夫」「気にしないで」という許しの言葉がどれほどの救いをもたらすのか、彼はきっと知らずにその言葉を告げるのであろうし、またそれと同じようにその言葉が酷く傷付け、絶望の中に突き落としてしまうこともあるのだということを、きっと彼は今も、こ…

雨と珈琲にさよならを

雨の匂いだ、と先輩は言った。昼とは違って随分落ち着いた気温は、むしろ寒いくらいだった。先輩の頼んだオレンジジュースは氷が沢山入っていて、必要以上に冷え冷えとしていた。窓の向こう側で、気付いたら雨が降っていて、また気付いたら晴れ間が広がって…

どこにでもある言葉は聞きたくないの

彼女と喧嘩したんだ、と彼は俯きながらそう言った。窓の外で降り始めた雨が微かな雑音を立てて、珈琲の湯気を揺らしている。彼は俯いたまま、頭の中に残った彼女の言葉を反芻するように、呟いた。彼女はこう言うんだ、私のこと、本当に愛してるの?って。 店…

ディスプレイのっぺらぼう

日曜の朝の話だ。日曜にもかかわらず電車の中にはスーツ姿の人が多かった。僕を除いて七人見える。同じようにその手に握られたスマートフォンを親指でしきりなぞる人を数える。これは私服の人も含めて十人以上いた。そのそれぞれの表情を見る。眉間にしわを…

アルツハイマーの祖父

バイオリンを取りに祖父母の家まで行って、この前インフルにかかって入院時にアルツハイマーが進みまくったと聞いてた爺様に会ってきた。 人の記憶というのは所詮細胞の電気信号云々であって、というのは些か冷たい言い方に聞こえるだろうけれど、それだけ人…

気高く聡明な彼女の死

平成二十四年十二月十一日、午前十一時三十九分、彼女は息を引き取った。 彼女は愛すべき家族の一員だった。最後まで気高く聡明で、そして美しい犬だった。 彼女がぼくのところにやってきたのは十数年前、ぼくがまだ小学五年生の春のことだった。当時母の友…