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Dialog - somewhere in the World.

きっとどこかにある日常

ディスプレイのっぺらぼう

日曜の朝の話だ。日曜にもかかわらず電車の中にはスーツ姿の人が多かった。僕を除いて七人見える。同じようにその手に握られたスマートフォンを親指でしきりなぞる人を数える。これは私服の人も含めて十人以上いた。そのそれぞれの表情を見る。眉間にしわを寄せている人。眠そうに目を細めている人。しきりに画面を付けたり消したりしている人。その人達の中で笑っている人は一人もいない。

少し目線を傾けると隣の女性が見せびらかすように触れているスマートフォンの画面が見える。ひどく画面輝度と解像度の高いそれは鮮やかな色彩を画面に踊らせている。ネットスラングに満ちた会話には頻繁に笑う声が書き込まれていて、彼女は素早く指を動かして、無表情にその会話に賛同する。

僕はたまらず視線を元に戻す。目の前にいたスーツ姿の男性が席から立つ。スマートフォンをポケットから取り出しながら、少しだけ俯きながらディスプレイを覗き込むまでの一連の流れがまるで精巧に組まれたプログラムを走らせているように当たり前の動きとして馴染んでいるように見える。それに僕はぞっとする。

彼はディスプレイの向こう側でどんな顔をしているのだろう。日曜出勤の辛さと理不尽さに怒りを露わにしているのか、崩れそうな自我をどうにか保とうとして渇いた笑いと励ましの言葉を言い聞かせるようなぎこちない笑いを浮かべているのか。

僕がそんな話をすると、喰われているんだよ、と先輩は答えた。夕食の皿に盛られた白身魚のソテーが柔らかく切り裂かれ、彼女はそれを上品に口に運ぶ。何を? と僕が聞き返すと、どうしようもない悲しみをあざ笑うような顔で先輩は答える。

──表情を。感情を。現実を。自分自身を。そして彼らは誰ひとりとして気付かないままなんだ。深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いているように、彼らはいつの間にか喰われていくんだ。空っぽの、つるんとした殻を剥いたゆでたまごみたいにね。先輩は歌うようにそう続けた。僕はテーブルの上に置いたスマートフォンの画面を裏返して伏せる。今にも黒く閉じたディスプレイが大口を開けて、人の顔を抉り取っていく闇に感じたからだ。

ぞっとした顔をしている僕の顔を見て先輩はくすくすと笑った。君はまだ大丈夫だよ。だんだんそういう人は、君みたいに恐れることもなく手放せなくなっていくんだ。画面を見ていないと気が済まない。何かにつながっていなきゃ不安で仕方がない彼らにとって、それはもう一つのライフラインみたいなものだからね。君、ライフラインを切られたら、人はどうなると思う?

死ぬんでしょう、と僕は言う。それは現実的で幻想的な精神の死だ。レアメタルと数種類の金属と、何かをどこまでも追求することを生業としている人々によって与えられた致死性の麻薬だ。先輩は肯定も否定もせずに笑う。隣のテーブルで目の前に運ばれてきたチキンのソテーを写真に撮ったあと素早くSNSに投稿しているのであろう無表情の女性と、それを無感動に眺める向かいに座った男性を僕は見て、静かな振動音に呼ばれるように、裏返された自分のスマートフォンに目を移した。

出なよ、と先輩は言う。アルバイトの呼び出しかもしれないし、友人が助けを求めているかもしれない。サークルの飲み会の出席を集める連絡かもしれないし、もしかしたら親が火急の用事でかけてきているかもしれないぞ。

僕は恐る恐る震える端末を手にとって、誰から電話がかかっているかを確認する。画面を見た途端にその着信は切れて、不在の通知が画面上に表示される。僕はその発信者を出来る限り不機嫌な顔で睨みつけた。先輩は静かに笑いながら、隣のテーブルに目線を向ける。

隣のテーブルに座っていた女性の手から、男性はそのスマートフォンを取り上げた。彼女は一瞬にして半狂乱の表情を浮かべて彼の頬を張り飛ばす。どうしてそんなことをするの、と彼女は喚き散らし、呆然とする彼からスマートフォンを奪い返した後、店を出ていった。

妖怪みたいなものさ、と先輩は呟くように言った。きっとあの彼女はそのディスプレイの電源を切って初めて、その黒い画面に反射した自分の顔が、のっぺらぼうになってることに気付くんだよ。

 

僕は机の上にあるスマートフォンを見る。

先輩からの着信通知はもう、画面を明るく照らしてはいなかった。

そこには、